海釣りに行きたいな…
1日、ボーっと釣りをしたいな〜
釣れない釣りね。
岸壁からの投げ釣り。
、、、、、
「釣れますか?」
「釣れませんね〜」
だって、餌をつけてないから。
私が好きだったテレビドラマ「季節はずれの海岸物語」の会話。私に強烈な印象を与えてくれたシーンでした。
あの脚本は凄かったな〜。
、、、、、
「功成り、名遂げて、身・退くは、天の道」と心得て「小舟に棹さして五湖の煙濤を楽しむ」
能『船弁慶』です。
自分が納得の行くところまでやったら、リタイアするのもいいですよ〜と、小舟に乗ってボーっとしている人、、、たとえ話。
片や、平家の一門は、死んでも仕事をしてます。「源義経が怨めしいから殺してやるぞ!」、、、と。
生き方の対比。
何かに固執していたら、いつまでもそこにいなくてはいけない。
でも、自分自身を客観的に見れば、所詮は自分ごときが出来ることなんて限られているから。
他人と同じ人生なんて無いし、他人は他人だから。
能「船弁慶」のテーマです。
、、、、、
今の私は、能を観て楽しんで下さる方を見るのが好き。
52歳の私の釣り竿には、まだ餌がついている。
そのうち、餌をつけなくなり、
針をつけなくなり、
釣り糸さえなくなり、、、
釣りに行くのに、手ぶらで行って、海に向かってボーっとするのがいいですね。
何も持たなきゃ、何も釣れない。
釣りに、釣るために行ってるのではないから。
その境地には、なかなか、、
でも、釣りには行きますよ。
何も持たないから釣りに行ってないのではないし、
行ったつもり、、にはなりません。
つい数年前、船釣りに行った時に、クーラーボックスのようなものを持っていなかった。貸竿でしたから、「クーラーボックス」が要るとも思わず。
船長さんに「あんた何しに来たの?」と言われて、発泡スチロールの箱を買いました。
で、、、私だけではなく、この船全体で釣果ゼロ!
この発泡スチロールすら無駄だった。
釣れないから、クーラーボックスは要らないと、潜在的に思ったのかもしれません。
釣れないな〜と思ってイライラしていた若い頃が懐かしいです。
、、、、、、、
本当に能の作者って凄いですよ。
「能の本を書くこと、この道の命なり」
能の本を書けば、人生が見えてくるかもよ、、、という世阿弥の言葉。
そのとおりだと思いますね。
結果的に、自分が何も出来ていないことを思い知らされますから。

数少ない徳川家康公
写真はライトアップされた上野東照宮です。
神となり、全国各地に数百の東照宮がある家康公。
海に散骨されて、自分のことなど生きた痕跡すら残らない人もいるのに。
命には限りあり、能には果てあるべからず、、、
背負うものがある人は、死してなお、この世に残されるんですよね。