横須賀製鉄所、、、

この写真を撮りたかった。

小栗上野介が、きっと見たかったであろう景色です。

横須賀製鉄所。

幕末、小栗上野介が建設を決断し、その礎を築いた日本初の本格的近代工業施設です。

しかし小栗自身は、その完成を見ることなく亡くなりました。

明治元年に新政府へ接収され、
明治4年には横須賀造船所となり、
昭和20年には米軍のドライドックとなる。

時代の変化とともに姿を変えながらも、この場所は160年以上にわたり日本の近代化を支え続けてきました。

私は旅先でも、よく考えます。

その建物を造った人は、どんな思いだったのだろう。

建設当時、そこにはどんな景色が広がっていたのだろう。

そして今の景色を見たら、何を思うのだろう。

横須賀製鉄所の建設には、多くの寄場送りの人々も従事したと伝えられています。

工事中には151名もの方が亡くなり、その供養のために忍塚(しのぶづか)が築かれました。

近代化の輝かしい歴史の陰には、名も残らない多くの人々の働きと犠牲があったのです。

小栗は遣米使節として太平洋を渡り、西洋文明の力を目の当たりにしました。

「日本も近代化しなければならない」

その思いが、横須賀製鉄所建設へとつながっていきます。

そして今。

原子力空母が停泊する横須賀の海を見ながら、私は想像します。

もし160年ぶりに小栗上野介がこの地へ現れたら、何を思うだろうか。

喜ぶだろうか。
驚くだろうか。
それとも、まだ道半ばだと言うだろうか。

そんなことを考えながら、この写真を撮りました。

ちなみに私は着物姿。

小栗は近代化を進めた人物ですが、自身は洋服を着ていません。

だから現代に現れたとしても、きっと着物姿だったはずです。

ヴェルニー公園を着物で歩いていると、向かいから来る方が道を開けてくださったり、子どもたちが不思議そうについてきたり。

もしかすると、その時だけは清水義也ではなく、小栗上野介が横須賀へ帰ってきていたのかもしれません。